宇多嶋翔の此れ好日

2018年03月号 vol.9

<撮影キャラバン>薩摩編  今度は鹿児島観光でググってみた

2018年03月16日 21:42 by show21up

 

仙巌園

 

 

 

 

 

 

 http://www.senganen.jp/

仙巌園は、万治元(1658)年、19代島津光久によって築かれた別邸です。錦江湾や桜島を庭園の景観にとりいれた、雄大な景色が仙巌園の最大の魅力です。幕末の名君、28代島津斉彬がこよなく愛し、徳川将軍家に嫁いだ篤姫も足を運びました。

 

ここは1日は無理でも半日はかけて味わって撮ってこよう

島津家は鎌倉時代から始まります

なぜか?

薩摩に飛ばされたのが始まりで、それだけ鎌倉幕府から

恐れられたのでしょう・・・勇猛果敢で団結力が強い

集団だったようです

徳川幕藩体制の中で島津家のみが他国を支配できました

それが琉球です。琉球支配を通じて島津家のみに

諸外国の情報や品物が流入していました

ミニ幕府経営をやってきたわけで、だから幕末の時の

薩摩の勢いは凄かった

パリ万博では薩摩が日本の王であると宣言し

徳川家を遥かに上回る高価な品々を博覧会に展示し

当時のパリの新聞では薩摩藩を日本の王と徳川家を

ニセモノとして新聞報道するほどでした

とはいえシラス台地に覆われた風土故貧乏を字で行く

薩摩藩が幕末に一気に豊かな資金を得たのはなぜでしょう?

もちろん斉彬の産業振興政策で薩摩切子が誕生しましたが

財政を潤わすには程遠いようで、その秘策こそが贋金作り

でした。贋金を江戸市中にばら撒くとばら撒くだけ

徳川家の資金が悪化します。それを断行したのです

最後には戊辰戦争を引き起こすために江戸の街での

火つけ盗賊の限りを尽くし幕府を刺激していました

このような発想や実行力は他藩には及びもつきません 

 

鶴丸城跡 

 

 

 

 http://www.kagoshima-kankou.com/guide/12332/

 

昭和28年9月7日に県の史跡に指定されました。鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601年)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城。正面中央には、鶴丸城の御楼門がありましたが、明治6年(1873年)の火災で焼失。

 

 城山

 

 

 

 http://www.kagoshima-kankou.com/guide/10525/

 

市街地の中心部に位置する標高107メートルの小高い山で、クスの大木やシダ・サンゴ樹など600種以上の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫です。遊歩道での散策も楽しめ、市民の憩いの場ともなっています。
展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街地を一望でき、天気の良い日には遠く霧島や指宿の開聞岳も見えます。また、夜景が美しいことでも有名です。城山は西南戦争の最後の激戦地となったため、西郷洞窟や西郷終焉の地など、西南戦争にまつわる史跡が多く存在します。 昭和6年に国の史跡・天然記念物の指定を受けました。 (県推奨森林浴の森70選:野鳥・植物観察コース)

 

 

鹿児島観光としては、この程度じゃないかと思う

あとは、名産品の製造現場とか

また忘れてはならないのが「知覧」だ

太平洋戦争末期、若者が操縦する多くのゼロ戦がここから

飛び立った。片道の燃料しか積まずに・・・特攻隊だ!

今では知覧という地名だが、幕末の頃は田布施と言った

幕末の薩長同盟は、長州の田布施、薩摩の田布施

つまり田布施連合が隠れた軸となっていた

朝鮮人部落である

明治維新の隠された深い闇を解くキーワードこそが

田布施なのだ

 

 

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